「大相撲春場所・千秋楽」(26日、エディオンアリーナ大阪)
 13日目に左肩付近を痛めながら土俵に上がり続けた新横綱稀勢の里が、1差で追いかけていた照ノ富士を本割・優勝決定戦と連破し、逆転で2場所連続優勝を果たした。(デイリースポーツ)
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大相撲春場所14日目は25日、エディオンアリーナ大阪で行われ、左胸付近を負傷しながら強行出場した新横綱・稀勢の里は結びの一番で横綱・鶴竜と対戦。ケガの影響か、鶴竜に敗れ2敗に後退した。26日の千秋楽では新横綱優勝を目指して1敗の大関・照ノ富士と対戦する。(スポニチアネックス)
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無理してほしくなかったです。まだ先があるのだから今場所優勝できなくても次の場所がある治療に専念してほしかった。
悪化して力士生命につながってしまう可能性あるから
琴しょうぎくはここまでのような気が
h大相撲春場所13日目(24日、エディオンアリーナ大阪)新横綱稀勢の里(30)が横綱日馬富士(32)に寄り倒され、初日からの連勝が12でストップし、土がついた。大関照ノ富士(25)は横綱鶴竜(31)を寄り切り、1敗を守った。関脇高安(27)は平幕嘉風(35)に押し出され、3連敗となった。(サンケイスポーツ)
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心配ですね肩。
大きな怪我じゃなければよいのだが
 「事件」「震える舌」「仁義なき戦い」シリーズなどの映画や「十津川警部」「おみやさん」をはじめとする推理ドラマでも活躍した俳優の渡瀬恒彦(本名同じ)さんが14日午後11時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。72歳。島根県出身。2015年から胆のうがんで闘病中だった。葬儀は近親者のみで営む。喪主は妻い保(いほ)さん。兄の渡哲也(75)とはまた違った男の魅力で人気を誇ったスター俳優だった。

【写真】1972年、大原麗子さんと結婚した渡瀬恒彦さん

 仕事復帰を信じて頑張った渡瀬さんが静かに息を引き取った。

 がんとの闘いは一進一退を繰り返し、家族の願いは届かなかった。1月21日に松方弘樹さんが74歳で死去した際には「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」とコメントを出した。あれからまだ2カ月だった。

 渡瀬さんは15年夏ごろに体調不良を訴え、検査の結果、胆のうに悪性腫瘍が見つかって都内の大学病院に入院。5カ月間、仕事を入れず、抗がん剤の投与と放射線治療を受けた。効果が出て、少しずつ仕事復帰を果たしたが、完治せず、入退院を繰り返していた。

 早大法学部を除籍になった後、電通PRセンターに入社。兄の渡は既に日活の青春スターとしてスターの階段を駆け上がっていたが、渡瀬さんは芸能界に全く興味がなかった。そこを口説いたのが東映の岡田茂社長(当時)で、69年に同社と契約を結んだ。

 70年に石井輝男監督「殺し屋人別帳」でデビュー。「仁義なき戦い」シリーズなど数多くのやくざ映画やアクション作品で実力を養い、78年に出演した深作欣二監督の「赤穂城断絶」と野村芳太郎監督の「事件」の演技でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。その後も「震える舌」「南極物語」などの話題作で存在感を見せる一方、映画界の斜陽化に伴ってテレビでの活躍も目立つようになった。「十津川警部」(TBS)「おみやさん」などは息の長いシリーズとなった。

 私生活では73年に女優の故大原麗子さんと結婚したが78年に離婚。翌79年に新潟県出身のOL、い保さん(69)と再婚し、息子と娘に恵まれた。04年の「十津川警部シリーズ 東北新幹線“はやて”殺人事件」で大原さんと26年ぶりの共演を果たし話題を呼んだ。大原さんが09年8月に62年の生涯を閉じると、同23日に営まれた「お別れの会」には渡瀬さんも参列し、別れを告げていた。

 ◆渡瀬 恒彦(わたせ・つねひこ)1944年(昭19)7月28日、島根県生まれ。69年に東映に入社。70年「殺し屋人別帳」でデビュー。主な代表作に映画「赤穂城断絶」「事件」「仁義なき戦い」シリーズ、ドラマ「十津川警部」「北アルプス山岳救助隊」「世直し公務員」「おみやさん」シリーズなど。兄は俳優の渡哲也(75)。

いい俳優だっただけに残念
◆WBC ▽2次ラウンド・プールE 日本8―3イスラエル(15日、東京ドーム)

日本がイスラエルを圧倒し大会6連勝。1次ラウンドに続き2次ラウンドも3戦全勝と無傷で準決勝進出を決めた。(スポーツ報知)
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すごいぞ侍Japanイスラエルにも勝って予選全勝で準決勝進出
準決勝進出おめでとう
アメリカでもいい試合を
がんばれ侍Japan
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Author:wrght417
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